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ライバルは同級生

2016/07/21 Thu 17:29

「部活を辞めたいんですけど・・・」
 ホームルームが終わり人の出入りが慌ただしい放課後。教室に入ってきて申し訳なさそうに退部の意思を伝えにきた後輩の香住に対して、未希は思いつくかぎりの言葉をすべて声に出して説得を試みた。しかし、必死の頑張りも虚しく、彼女の意思を変えることは出来なかった。
 香住が教室から出ていくと、未希は椅子に座ったまま片目を瞑り右手で頬杖をついた。考えることをやめ、しばらくそうしていた。頭の中では、辞めちゃったという事実の認識が何度も繰り返される。
 感傷の思いが落ち着き始めると、後頭部に両手を当てて、天井を見る。
「まいったな・・・」
 思わず言葉に出ていた。香住が辞めたから部員の人数が四人になってしまった。五人と四人。その違いはとても大きい。部活動は五人以上集まらないと学校側から認められないのだ。下手したらこのままだと廃部に追いやられちゃうかもしれない。
 でも来年の春になれば新入部員が入ってくる。それまでは学校側も人数は気にせずにいてくれないかな。
 未希は両腕を組み両目を瞑る。
 考えを整理したら、この線で説得するのが一番な気がしてきた。
 未希は机にかけていたバッグを手にして立ち上がる。
 もう部活が始まる時間だ。あとは部室に向かいながら考えよう。先生に伝えるのは、部員のみんなにも教えて説得の仕方をきちんと考えてからだ。潰すわけにはいかない。ボクシング部はあたしが創ったんだから。

「ふざけないで!!」
 部室の外から怒鳴り声が聞こえてきた。恐らく貴子の声だ。嫌な予感がして、未希は走って扉を開けた。
 中には十人以上の生徒がいた。彼女たちの視線がいっせいに未希に集まる。
 ボクシング部員の貴子と美奈と加代がここにいるのは分かる。問題なのはボクシング部員以外の娘たちがいること。彼女たちは、揃って同じ格好をしていて、青いジャージに黒いスパッツを履いている。部室の右側に寄って出来た彼女たちの輪の中心には、同じクラスの小泉裕子がいた。小泉の姿を確認したことで、陸上部の面々であると察しがついた。
「小泉、何の用?」
 未希は彼女の顔を睨みつけながら言った。
 小泉は両肘に手を当てたまま笑みを浮かべた。
「あなたが来るのを待ってたのよ。廃部はもう決まったかしら?」
 未希の表情が固まる。廃部って何でこいつが・・・。
「何言ってんだよ、いきなり」
 未希は動揺を悟られないよう、低い声を出した。
「先生に伝えに言ってたんでしょ、四人になりましたって」
 楽しげに話す小泉の言葉に未希の心臓が大きく動いた。
「何であんたが知ってるんだよ」
「さぁどうしてかしら」
 そう言って小泉が小馬鹿にしたように笑った。未希の中で苛々が募る。
「未希、香住が辞めたのホントだったんだ・・・」
 と貴子が言った。落胆しているのが声から伝わってくる。
「あっ、うん・・・さっき香住から言ってきた」
 そう言うと、加代と美奈も気落ちしたように弱々しい表情になった。彼女たちの姿を見て、未希はフォローしないではいられなかった。
「でも、まだ廃部になったわけじゃないから」
「どうせまだ先生に伝えてないんでしょ」
 余計な口出しをする小泉に未希はさらに苛立ちを募らせる。
「だったら何なんだよ。大事なことなんだ。だいたい小泉には関係ない話だろ」
 未希の声が大きくなる。
「早く先生に言ってもらわないと迷惑なのよ。この部室が空いたら陸上部の筋トレ室にする予定なんだから」
「予定ってあんたが決める話じゃないだろ」
「何も知らないのね。部室の空きスペースが出来たら優先権は陸上部にあるのよ」
 小泉が口元の右端を吊り上げて優越感に浸った表情を見せた。
「うちの部はどこかの部と違って優秀だから」
 不快な話が止まらない小泉に未希はもう我慢が出来なかった。
「いい加減にしてよね。殴られたくないなら今すぐここから出てけ!」
 未希は怒鳴って入口の扉を指した。
「脅してもムダよ。はっきり言ってボクシングで勝負したってあなたに負ける気はしないわ」
 小泉は両肘に手を当てる姿勢を崩さず自信たっぷりに言った。
「なっ・・・!」
 未希が両拳をぐっと握りしめた。力の余り拳がぷるぷると震える。
 ボクシングで勝負なんてどこまで人を馬鹿にしてるんだ。
「じゃあ今すぐリングに上がれ」
「望むところよ」
 そう言って、小泉はロープをくぐり、リングの中に入った。一方の未希はその場に立ったままでいる。小泉にずっと目を向け続け、本心を探っていた。小泉がどこかで引き下がるという思いがあった。でも、小泉は本当にボクシングをする気みたいだ。あたしと試合して勝てるとでも思ってるのか?
「さあどうしたの、やるんじゃなかったの」
 小泉がロープに両肘をかけて言う。
 陸上部の娘たちもやりなさいよと挑発の言葉を次々とぶつけてくる。
 未希がリングに向かおうとすると、貴子が横から入ってきて前に立った。
「未希、辞めた方がいいよ。小泉と試合したら問題になるかもしれないよ」
 未希は貴子の顔をじっと見る。不安に耐えて訴えかけてくる彼女の健気な表情に心から心配しているのだと分かる。未希は加代に顔を向ける。
「加代、悪いけどボクシンググローブを二つとって」
 加代が道具置き場に向かったのを未希は確認してから、また貴子に目を向けた。左手を貴子の肩に置き、
「大丈夫、あたしたちは悪いことをしてるわけじゃないんだ」
 と言った。
「でも・・・」
 加代からボクシンググローブを渡された未希はまだ何か言いたげな貴子の横を通り過ぎリングに向かう。
 未希は心の中で貴子に感謝した。貴子のおかげで少し冷静さを取り戻せた気がする。
 貴子の言うとおりだ。
 何を言われようと無視するのが一番かもしれない。
 でも、あたしたちの活動を馬鹿にするのはどうしても許せないんだ。うちらは公式戦でまだ一勝も出来ていない。弱い部かもしれないけれど、練習は胸を張れるくらい真面目にやってるんだ。
 リングに上がり、無言で小泉に青いボクシンググローブを渡した。
 未希は赤いボクシンググローブを拳にはめる。
 小泉に目を向けると彼女も拳にグローブをはめ終えていた。
 未希は美奈をレフェリーに使命した。
「レフェリーはうちの部員でかまわないだろ」
「かまわないわ」
 小泉はこちらを見ずに、グローブの位置を調整しながら言った。それから数秒して、ふいにこちらに目を向ける。
「ねぇ、一つ約束をしない?」
「約束?」
 未希が怪訝に聞き返した。
「わたしが勝ったら部室を譲ってくれる?あなたが勝ったら何でも言うことを聞くわ」
 未希が黙っていると、また小泉が馬鹿にしたように口元に笑みを浮かべた。
「自信がないの?」
「ふざけるな。じゃああたしが勝ったら部室の優先権を放棄しろ」
「かまわないわ」
 小泉は平然と言った。やり取りを終えてから、未希ははめられたかと思った。いや、と未希はすぐに否定する。ボクシングの試合であたしが小泉に敗けるはずがない。
 未希は両拳を胸の前で一度ばすっと合わせた。心の迷いを消さんとばかりに。
 レフェリーの美奈がリングに上がり、未希と小泉にマウピースを渡す。
 二人とも口にくわえ、試合の準備は整のった。
「加代、ゴング頼む」
 未希がリングの上から要請し、試合開始のゴングが鳴った。
 同時に未希がダッシュして向かっていく。早く試合を終わらせるつもりでいた。大切なものが汚されているこの時間が未希には耐えられなかった。
 距離を詰めた未希が右のフックを放つ。拳は何も捉えずに空を切る。その出来事の意味を未希は理解できないでいた。体勢を崩しながらも反射的に視界からいなくなった対戦相手の姿を目で追う。小泉は目の前にいた。消えてなんかいなかった。曲げていた膝を伸ばし、両拳で頭を守りながら身体を近づけてくる。パンチにも動じずにファイティングポーズを取った両腕の合間から冷たい目で見つめてくる小泉。未希の心から余裕は消えていた。心の中で沸き上がる対戦相手への恐れ。その感情を祓おうとするかのようにとっさに左のパンチが出た。未希の左のパンチに呼応するように小泉も左のパンチを放つ。

 闇雲に打ったパンチと狙い済ましたパンチ。その差が未希と小泉の明暗を大きく分けた。パンチを打ちながら上半身を屈めていく小泉。未希のパンチは空を切り、小泉の左フックが鮮やかに決まった。
 小泉が左フックを思いきり振り抜くと、その凄まじい衝撃に未希の顔面が悲鳴を上げた。右頬はひしゃげ、潰れた鼻からは血が吹き上がった。醜悪な顔面を晒す未希の瞳は何も捉えておらず、早くも意識が飛んでいるかのようだった。
 糸が切れた人形のように未希はぐにゃりと半円を描きながら後ろに崩れ落ちていく。ドタンと派手な音がすると、部室内が静まり反った。沈黙はすぐに悲鳴へと変わった。貴子と加代が未希の名前を大声で叫ぶ。
 仰向けの体勢になって、頬をキャンバスに埋める未希。歪んで開いている口からはマウピースがはみ出ており、唾液がだらりとだらしなく垂れ流れている。身体はぴくぴくと痙攣していて、動ける状態では到底なかった。
 あまりにも痛々しげな未希の姿に耐えられなくなった美奈が貴子を呼んだ。貴子が慌ててリングに入った。未希の身体を抱きかかえて、
「未希!」
 と大声で言った。未希が反応し、ゆっくりと貴子に顔を向ける。それから、
「だ・・・い・・・じょう・・・ぶ」
 と声を振り絞って言った。
「未希・・・無理しなくていいからね」
 貴子は張りつめた表情を少し崩して優しく言った。タオルを渡してもらい、未希が顔についた血を拭いていると、貴子の背後に人影が見えた。見上げると小泉だった。心配する素振りを見せるどころか冷淡な目をして見下ろしている。
「約束よ。部室から出てってくれる」
 小泉の慈悲のない振る舞いに貴子が睨み付けた。
「ちょっと!未希はまだダメージあるんだよ!」
 小泉が背を向けた。
「今すぐじゃなくてかまわないわ。明日またくるから。その時までに邪魔な物全部片付けといて」
 そう言い終えてから、歩き出しロープを掴み、リングを降りようとする。
「ちょっと待ってくれ・・・小泉」
 上半身だけ起こした未希が声を振り絞って言った。小泉が未希の方に顔を向ける。
「未希、無理しないで」
 心配な表情を見せる貴子を未希は左手で制した。
 「小泉・・・もう一度試合してくれないか・・・」
 片目を瞑り辛そうに話す未希に対して、小泉はむすっとした表情を見せる。
「ふざけないで。さっき約束したじゃない」
「こんな形で部活が終わるなんて納得できないんだ。ちゃんとした試合で白黒つくならまだ気持ち的にも・・」
「あなたの気持ちなんてしったことじゃないわ」
 小泉が冷たく言い放つと、運動部の女子たちもそうよと加勢した。美奈と加代が言い返すが、人数でも気持ちの面でも劣り、その声は埋もれていった。
 一瞬即発の空気が場に広がっていく。感情を剥き出しにした言い合いが続いていると、
「落ち着きなさいあなたたち!」
 聞き覚えのある女性の声が扉の方から聞こえてきた。顔を向けると、ボクシング部顧問の依子が立っていた。まだ三十代前半の国語の教師だ。依子がリングの前まで来た。未希に顔を向ける。
「未希、香住から話は聞いてるわ」
 そう言って依子はじっと未希の顔を見た。それからまた言った。
「ボクシング部は、春まで四人でもかまわないわ」
「先生・・・」
 未希は安堵して目を弛ませた。依子の言葉に救われた気持ちになれた。これでボクシング部を続けられる。何を考えているのか分からない面がこの先生にはあったから、慎重に相談しようと思っていたのだけれど、とても理解ある先生だったんだ。そう思った矢先に、
「でも、部活だから最低限の結果は必要ね」
 と突き放された。
 未希がちょっと待ってと言葉を挟もうとすると、依子が視線を生徒たち全体に移した。
「一週間後に未希と小泉さんでもう一度試合をしなさい。未希が敗けたらボクシング部は休部。部室は運動部が好きに使っていいわ」
 そう言うと、依子は小泉を見た。
「どう、小泉さん?」
「先生がそう言うんでしたらわたしはかまいません」
 小泉は表情を変えずに言った。依子が再び未希に視線を戻す。
「未希は?」
 未希ははぁっと息をついた。勝手に話を進められてしまった。でも、結果的に小泉ともう一度試合をしたいというあたしの願いはかなったことになるから、先生には感謝しないといけないのかな。
 未希は渋い表情を見せながらも、はいと頷いた。
 それから、ゆっくりと立ち上がった。貴子が「大丈夫なの」と心配そうに聞いてきたけれど、彼女の顔を見て、未希は大丈夫と返した。加代と美奈、そしてもう一度貴子の顔を見る。三人とも心配した表情を今も見せてくれる。未希は今度こそ勝たないとと心の中で誓い、右拳を強く握った。
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 誰もいなくなった練習場で未希はサンドバッグを叩く。そこは貴子の父が運営しているボクシングジム。小泉との試合まで遅くまで使える練習の場所を貸してもらえることが出来た。部活を終えてからここに来てさらに練習をする毎日を続けている。
 パンチを打つときに左のガードが下がる癖を意識しながら打ち込んでいく。
 未希は名前を呼ばれて振り向いた。声をかけてきたのは時宗というジム所属のボクサーだった。プロでもまだ17歳で未希と同学年の高校生だ。この一週間、彼に練習を見てもらっていた。
「だいぶ良くなってきているんじゃない」
  時宗は目を細めて温和そうな表情で言った。
「そうかな」
 未希は後頭部に手を当てて照れ臭く笑って言った。
「うん、一週間前とだいぶ違う」
 未希は改めて口元を緩ませる。
「パンチを打つときの癖がだいぶ抜けてきてるよ」
 未希は握りしめた両拳を胸の前まで上げて見つめる。
「明日の試合勝てる気がしてきたよ」
 時宗の方にまた目を向けると、彼は変わらず温和な表情を浮かべている。ボクシングジムに似つかわしくない、それでいて的確な指導が出来る不思議な雰囲気を彼からは感じる。
 サンドバッグの方にまた身体を戻すと、時宗が「ねぇ」と話かけてきた。未希はサンドバッグに手を当てたまま、顔だけを彼の方に向ける。
「未希ちゃんの言う小泉って下の名前、裕子って言うんじゃない」
「そうだけど、何で分かるの?」
「やっぱり」
 と時宗は一人で頷いた。
「ボクシングで小泉裕子って言ったらうちらの世代じゃ有名人だからね」
 未希の表情が真顔になる。
「アマチュアボクシング大会の女子の中学生部門で二年連続優勝。しかも世界チャンピオンの娘だからね」
「あの小泉が・・・」
 と未希は呟いた。
「あのかは分からないけどその小泉裕子ちゃんはね」
  時宗の淡々とした揚げ足取りに未希は反応せず両腕を組み下を向いた。
「明日の試合勝てる気がしなくなってきた」
「もし同じ人だったとしても高校生の大会で彼女が試合に出たっていう話は聞いたことないし、今はもうボクシングやってないんじゃない。だってその娘、陸上部なんでしょ」
「そうかもしれないけど、そんな立派な肩書き聞いちゃうとね」
 未希は息をついた。
「明日の試合って部外者も来ていいの?」
「もしかして、セコンドについてくれるの?」
「僕はプロだしセコンドについちゃまずいでしょ」
「そりゃそうだ。どちらにしろ女子校だから時宗君は学校に入るの無理だけどね。観に来たかったの?」
「ううん。血を見るのは好きじゃないからね」
「それでよくボクサーやってるね」
「自分が試合をするのはまた別だからね」
 未希はその考えを理解出来ずに両方の手のひらを上に向けた。
「結果はどうあれ無事に帰ってきてよ」
 時宗はそう言い残して練習場から出ていった。
 勝ってこいとは言わないんだな・・・。
 未希はまたサンドバッグに向き合う。ファイティングポーズを取ったものの、急に虚しさに襲われてまた両腕を下げた。
「小泉がボクシング大会優勝ね・・・」
  一人きりになったジムの中で未希はぽつりと漏らした。
 足跡がしてそちらを振り向くと、貴子が練習場に現れた。
「今、時宗君来てたでしょ。何か教えてもらえた?」
「うん、いろいろとね・・・」
「そう・・・なんか元気なくない?」
「いやさっ、時宗君が小泉はボクシングの中学生アマチュアチャンピオンかもしれないって言うもんだから」
「えっそうなのっ」
 貴子が大きく口を開けた。
「しかも世界チャンピオンの娘ときたもんだ」
 未希はやってらんないといった風に斜め上に視線を移す。
「まあ、確定ではないけどね」
「だから、あんなに自信があったんだ・・」
 貴子がそう言うと二人は黙りっきり、しんみりとした空気になった。未希はボクシンググローブを外して、部屋の隅にある長椅子に腰を下ろした。
「あたし母子家庭だったから周りからとやかく言われないよう強くなりたいと思ってボクシングを始めたんだよね。それまでは理論武装ばかり固めて口だけ達者だっただけだったから」
未希は一拍置くと貴子の反応を確かめないまま続けた。
「ボクシングにはまった今となっては母子家庭とかどうでもいいことだけどさ。あたしはボクシングが好きで誰よりも強くなりたいから続けてる。インターハイで優勝出来たらその思いは成就されると思ってたけど、小泉がとっくの昔に全国制覇を達成してたと聞いちゃうとね」
 未希は虚しさを誤魔化そうと空を見上げる。
「なんか不公平だなって。あたしはこんなにボクシングが好きなのに」
 貴子が未希の隣に座る。 未希の左拳を両手で握って持ち上げた。未希は貴子の顔を見る。
「この一年半、未希はボクシングと真摯に向き合って汗を流してきた。自信持っていいんだよ」
「ありがとう貴子」
 未希は目を瞑った。彼女の言葉を胸の中で大切に感じ続ける。それから、また貴子の顔を見て誓った。
「明日は絶対に勝つから」
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「がはぁっ!!」
  未希が血へどを吐いて前に崩れ落ちていく。
「ダウン!」
 レフェリーの依子がダウンを宣告し、周りの陸上部員たちが歓喜する。一方で女子ボクシング部員たちは悲壮な声で未希の名前を呼んでいた。自分を鼓舞する声が耳に届いていながらも、未希は体を動かせずパンチのダメージに苦しみ悶えている。試合は第3ラウンド。まだ五分ちょっとしか闘っていないというのに未希の身体はボロボロに変わり果てていた。口の端からは血が垂れ落ち、瞼も頬も赤紫色に変色し痛々しく腫れ上がっている。
 それでもカウント5を過ぎて未希は上半身を起こしキャンバスに片膝をついた。
「これで三度目のダウンよ。もういい加減にあきらめたら」
 ニュートラルコーナーに両肘を乗せる小泉が悠然と見下ろしながら言った。
「このまま負けられるか」
 未希はそう言い返すと、片目を瞑りながら立ち上がった。ファイティングポーズを取り依子にまだやれるところをみせる。
「仕方ないわね。またサンドバッグにしてあげるわ」
 試合が再開されると小泉は胸元で左右の拳を打ち合わせてコーナーを出た。左ストレートで未希の顔面を打ち抜き身体ごと吹き飛ばす。ロープを背にした未希の身体にパンチの雨を浴びせる。未希はパンチを返すことすら出来ない。未希が小泉の予告通りサンドバッグにされていく。
 1ラウンドから続く一方的な展開。一発すら当たらない未希のパンチ。もう倒れてしまいたい。そんな誘惑に何度も負けそうになった。でも、女子ボクシング部を潰したくない思い、そして小泉にだけは負けたくない思いで未希は諦めずに闘い続けていた。
 第3ラウンド終了のゴングが鳴り、小泉のパンチの連打から開放された。小泉が大きく息をしながら、
「これでもまだ続けるつもり?」
 と挑発するが、未希はロープにもたれたまま力なく頭を下げていた。ファイティングポーズを取り続けたまま、下を向いた顔から鼻血がポタポタと垂れ流れている。
「もう聞こえてすらいないみたいね」
 そう言い残して、小泉は青コーナーへ戻っていった。小泉がコーナーに着いた頃に未希もようやく赤コーナーへと戻っていく。
「裕子~!!」
 ボクシング部の練習室の入口から女性の声がした。振り返ると、茶髪でロングヘアーの若い女性とその隣に時宗が立っていた。
「あんたはリングに立つ資格なんてない人間なんだ。早くリングから下りろ」
 茶髪の女性が腕を組んだまま威勢良く言った。
 あの人は誰・・・?何で時宗がいるの?
 未希が状況を飲み込めずにいると、
「秋子さん・・・」
 小泉がぽつりと言って動揺した表情をみせた。そのまま下を向いていたが、すぐに秋子という女性を見て、
「いい加減、保護者面するのは止めてもらえますか。わたしはもうあなたとは何の関係もない」
 と言い放った。
「言うようになったじゃないか」
 秋子はそう言って、依子の方を見た。
「教師はあんただな」
「そうだけどあなたは?」
「わたしは裕子の父親のボクシングジムでトレーナーをやっているもんだ」
 秋子はそう言うと、小泉を人指し指で差した。
「裕子は二年前までうちのジムでボクシングをしていたけれど練習が嫌になって辞めた人間だ。ボクシングを捨てた人間にリングに上がらせるわけにはいかない。早く試合を中止にして欲しい」
 いろんな情報が出てきた中で確かになった一つの事実が未希の心を覆う。
 時宗が言った通り、小泉はボクシングをしていた。だからあいつはあんなに強くて、負けてても仕方ない。でもあたしは・・・
「待って!」
 自分でも気付かないうちに大声で言っていた。みんなの視線が集まってくる。
「あたしはまだやれる。勝手に試合を止めないで」
 未希の訴えに秋子は強い眼差しを向けてきた。
「裕子は並の強さじゃない。これ以上続けたって勝てやしない」
「ボクシングを捨てた人間には負けない。あたしはボクサーだから」
 未希は胸に右手を当てて言った。
「ボクサーだからか・・・。悪かった、あんたをボクサーとして見てなかった。でも、あんたはれっきとしたボクサーだ。好きにしなよ。わたしが責任を持って試合を見届けてやる」
 秋子は攻撃的な表情を解いて、改めて未希の顔を見る。それから依子の方に顔を向けた。
「なあいいだろ先生」
 秋子の言葉に依子も同意し、試合続行が決まった。
 未希がコーナーに戻ると、
「未希ちゃん」
 時宗が下から話しかけてきた。
「プロはセコンドにつかなかったんじゃなかったの」
 未希は嬉しそうに表情を緩ませながらも軽口を叩いた。
「勝ちたいんでしょ」
  時宗のいつになく真剣な表情に、
「うん」
 と未希は素直に頷いた。
「だったら左のボディブローで攻めたらいい」
「ボディじゃ倒すのに時間がかかるよ。今からじゃもう遅いよ」
「いや、彼女は相当体力が切れてる。ボクシングのスタミナはボクシングの練習じゃないとつかないからね。今ならボディが一番嫌がるパンチだよ」
「そっか・・・分かった、そうする」
「それに未希ちゃんは左ボディが一番良い線いってる。自信持っていいよ」
「ありがとっ、まだまだやれる気がしてきた」
 未希は小さく笑顔を見せてスツールから立ち上がった。
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 第4ラウンド開始のゴングが鳴り、未希はコーナーを出ていく。
 気持ちを奮って向かって行くものの、小泉の左ジャブを先に浴びてその一発だけで後ろによろめいた。
 気持ちを持ち直しても身体は正直だった。急に身体が疲労に襲われ全身が水の中にいるかのように重たくなる。その場に立ち尽くす未希を前に、
「馬鹿ねぇ。あそこで止めとけばこれ以上恥をかかずにすんだのに」
 と小泉が挑発する。
 口を開けて呼吸を荒げるだけの未希に小泉は、
「もう話せる余裕もないみたいね」
 と言って距離を詰めに出た。
 小泉が左ジャブを連続して未希の顔面を打ち込んでいく。このラウンドに入って小泉が闘い方を変えてきていた。左ジャブを中心にしたオーソドックスなボクシングに。
 これが小泉の本来のボクシング・・・。あたしのジャブとはキレがまるで違う・・・。 
 小泉の左ジャブに未希はこれまで築き上げてきた誇りが打ち砕かれていく。
 小泉の左ジャブの連打の前に未希は近づくことさえ出来ない。
 未希は棒立ちになり、サンドバッグのようにパンチを浴びる。もう足を前に出す気力さえ残っていない。それでもまだ闘うことを止めない。貴子たち女子ボクシング部員の応援する声が未希を支えていた。
 みんなが応援してくれている。負けられないよ・・・。パンチをかわせないなら・・・。
 未希が再び前に出た。
 小泉の左ジャブが弾かれる。未希は顎を下げ額で受けていた。一気に距離を詰めて、小泉の脇腹に左のボディブローを打ち込んだ。
 小泉の口から唾液がポシャポシャッと吐き出された。
 未希はもう一度左ボディを打ち込んだ。小泉の身体がくの字に折れ曲がる。
 間違いなく効いている。時宗の言っていたことは当たっていたんだ。
 未希は左のボディブローに全てを託して攻めていく。小泉もパンチを打ち返してきた。二人が足を止めてノーガードで打ち合った。未希はボディに、小泉は顔面へとパンチを打ち込んでいく。とうに限界を超えて身体にダメージと疲労を負っている未希。貴子たちの声に力を与えてもらえて闘い続けることが出来ていた。
 だが、その奮闘にも限界がきた。小泉の左フックをテンプルに受けて三半規管が麻痺していく感覚に襲われた。
 次はもう耐えられない。次のパンチで倒さなきゃ・・・。
 未希は残された力を振り絞って左のボディブローを打ちに出た。貴子たちの声援に応えたい思いが込められた未希の全身全霊のパンチ。
 しかし、決まったのは――――。
グワシャッ!!
 重く鈍い強烈な打撃音が響き渡り、未希への声援が止まった。決まったのは小泉の右ストレート。未希のパンチは届かずに両腕がだらりと下がっていた。小泉の右拳が顔面にめり込まれたまま、未希は身体がぷるぷると震えている。
 小泉が拳を引くと、未希はひしゃげた顔面をあらわにし前のめりに崩れ落ちていった。無防備に顔面からキャンバスに倒れると、ダウンが宣告された。
「立って未希~!!」
「未希~!!」
 キャンバスに顔を埋めたまま動けずにいる未希に貴子たちの激励の言葉が何度となく送られる。立ち上がれるわけがない。もう試合は終わったという空気が場を支配する中、奇跡は起こった。未希はカウント9で立ち上がった。
 依子が再開の合図を出す前に前へとゆっくり進んでいく。
「ちょっと、未希!!」
 戸惑う依子をよそに未希は小泉に向かっていく。小泉もとどめを刺しにコーナーを出た。小泉の左ジャブをガードすると、未希は右のストレートを放つ。しかし、左のガードが下がり前の悪い癖が出ている。その隙を小泉が見逃すはずがなかった。もう一度カウンターを打ちに出る。
 これでおしまい。そう思われた次の瞬間、未希はパンチを避けていた。
 ガードが下がったのはあえて。小泉ならカウンターを打ってくるだろうと見越して。自分の悪い癖を利用した未希は隙だらけとなった小泉の右脇腹に左の拳を打ち込んだ。
ズドオォッ!!
 重たい打撃音が響き渡る。
 だが、パンチを打った直後に相手に身体を預けたのは未希の方だった。虚ろな目をして両腕がだらりと下がる。今のパンチで精も根も尽き果てた未希に小泉がぎろりと目を向ける。とどめのパンチを改めて打とうと右拳を引いて放った瞬間に小泉の身体がその場に膝から崩れ落ちた。
 依子がダウンを宣告する。
「バランスが崩れただけよ。効いてなんかないわ」
 小泉が余裕をみせながら立ち上がろうとキャンバスに左手をついたが、腰を上げた途端にバランスを崩しまた後ろに尻餅をついた。
「ちょっ・・・ちょっと待ってよ」
 余裕があった小泉の表情が崩れ取り乱した表情に変わった。
 カウントが進んでいく。
「効いてない!パンチなんか効いてないんだから!」
 小泉が太ももを手で打ち付けるが、腰が上がらない。
「ナイン、テン!!」
 依子が未希の右腕を持ち上げた。
 貴子と美奈と加代がリングに入って未希に抱きついた。
「やったじゃない未希!!」
 貴子の言葉に未希は、
「みんなのおかげだよ。みんなの声があったから頑張れたんだ」
 と言った。女子ボクシング部員たちと喜びを分かち合う中、リングを降りようとする小泉を目にして未希は声をかけた。
「小泉!!」
 小泉が力の無い目でこちらを見た。
「本当はまだボクシングをやりたいんじゃないのか」
 小泉の表情が固まった。
「だから、あたしに喧嘩をうってきたんだろ」
 小泉がきっと睨みつける。それから、目を瞑り顔を背けて、
「あなたにわたしの何が分かるっていうの。適当なこと言わないで!」
 と大声で言った。
「お前もボクシングが大好きだったんだろ。じゃなきゃあんなに良い左ジャブは打てないよ」
 小泉が弱々しい顔をして口を開ける。それから大粒の涙を流した。
「ボクシングしたくなったらまたいつでもきなよ。あたしが迎えうってあげるから」
 小泉は未希の言葉には返事をせずに右手で顔を伏せながらリングを降り、部室を出ていった。
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「ほらっガードが下がってるよ美奈」
 美奈と加代がスパーリングをする中、未希はリングの下から声を出す。美奈のガードが上がるのを確認すると、貴子の方に目を向けた。
 貴子はサンドバッグを叩いている。力みがなくて綺麗なフォームでパンチを打っている。流石は先月の冬のインターハイで全国大会に出ただけある。ここのところ著しく成長している。
 壁に張られている鏡の方に目を向けると、一年生の娘が二人ともシャドーボクシングをしていた。肩から突っ込んでパンチを打っているけど今は自由にやらせておこう。
 部室にいるのはこの六人。そう、六人に増えているのだ。小泉との試合を終えてから四ヶ月。女子ボクシング部は、冬のインターハイで二人が全国大会に出場する目覚ましい活躍をおさめた効果で新たに二人の部員が増えたのだ。
 小泉の方はどうなったかというと、時宗からの情報だと、その後父親のジムでボクシングを再開したらしい。秋子さんが言うには、元々父親っ子で一緒にいる時間を増やしたくてボクシングを始めた。でも小泉の才能を見た父親が指導に力を入れすぎてしまっために嫌になって辞めたんだとか。今度は父親と上手くいくといいねとか、そんな殊勝なことは思わない。小泉には負けてられないなとついライバル心を駆り立てられる。
 ボクシング部休止の問題もなくなったし、部活動に活気も増したし、一層気合いを入れて練習しなきゃといきたいところだけど、どうも気持ちが乗らずにいる。
 未希はまたリングの上のスパーリングに目を向けた。
 冬のインターハイで未希は全国大会二位の成績を残した。これまで公式戦で一勝もしてなかったのだから上出来すぎる結果だった。来年こそは優勝をと誓いをたてたいところだけど、十七歳になってプロボクサーになれる年齢になった。
 誰よりも強くなりたい。そう願っていた中でプロのリングに上がりたいという思いが芽生え始めていた。でも、みんなと練習する毎日も好きだし、女子ボクシング部は自分が創ったんだから途中で辞めるのは無責任だという思いもある。
 ゴングの鳴る音がした。スパーリングが終わって美奈と加代がリングを降りた。
「良かったよ二人とも」
 と声をかけると、美奈と加代は「ありがとうっ」と言って笑顔を向けた。
「みんなの練習見るのもいいけど、未希は練習どうしたの?」
 貴子がそう話かけてきて隣に立った。
「なんだか気持ちがね、そういう風になっちゃってて」
 未希は首を左に傾ける。
「まぁた何か思い悩んでるんでしょ」
「たいしたことじゃないよ」
「ならいいんだけど」
 席を外そうとして、また貴子に「ねえ」と呼び止められた。
「小泉なんだけどさ」
 未希は顔を素早く貴子に向けた。
「来月、プロのリングに上がるみたい」
「そうなんだ・・・」
 未希は目を大きく見開いた。顔が硬直していく。つい下を向いてしまった。平静を装おうと再び上げた。
「あの小泉がね」
 小泉がプロのリングに上がる。その事実を頭が認識していくほどに、小泉に先をいかれたみたいでなんだかすごく悔しい気持ちになった。小泉がボクシングから離れてた一年半、あたしはボクシングに向き合い続けてただけに。
 誰よりも強くなりたい。そう思ってボクシングをしていることがなんだか虚しく感じてくる。
 胸が急に苦しくなってきた。
 ダメだこれ以上ここにいると、表情に出ちゃう。
 未希は部室を出ようと出口に向かった。
「未希っどこに行くの?」
「外に走りに行こうと思って」
「ねぇ・・・本当は無理してるんじゃない?」
「何が?」
 未希は出来るだけ口元を緩ませて聞き返した。
「プロのリングで試合したいんでしょ」
「そんなことないよ」
「隠さなくたっていいんだよ」
「そんなことないっ」
 未希は声を荒げる。
「インターハイで2位になってからずっと考えてたんでしょ。未希が立ち止まれない性分なのは分かってるから」
 感情を乱して強く言ってしまったのに、それでも貴子の言葉は優しくて、未希は思わず目を下に逸らした。
「でも、あたしはみんなと練習するのが好きだから・・・」
「未希」
 美奈に名前を呼ばれて未希は彼女の方を振り向いた。
「あたしだって未希との部活は楽しい。でも、あたしはプロボクサーの未希を見たい。未希にはいつも前を進んでいてもらいたいから」
 美奈の言葉が心に染み入ってくる。
「そうだよ。未希は未希の道を進んで。未希がプロボクサーになるのはわたしらの励みにもなるんだから」
 加代も・・・。
「美奈っ、加代・・・」
 自分の道を進みたがっているあたしをみんなが応援してくれている。その心遣いが嬉しくて、でもあたしはそんなみんなとまだ練習をしたいとも思っている。
「でも、あたしは・・・」
 何か言おうとして言葉に詰まっていると、貴子が右手を握った。それから胸へとその手を当てられる。
 手から心臓の鼓動がとくんとくん躍動するように動いている。
「もっと自分の思いに正直になりなよ。ほらっ未希の心はこんなに高鳴ってるじゃない」
「あたしは・・・」
 胸に手を当てたままそう呟いて、自分の気持ちを知ろうとした。
 顔を上げると、貴子が優しい顔を向けてくれていた。手を握ってくれている貴子の手から温かな体温が伝わってくる。その温もりは未希の硬い心を解きほぐしてくれた。
 あたしは誰よりも強くなりたい。自分の思いが自然と聞こえてきた。貴子の手を両手で握りしめた。
「みんなのおかげで吹っ切ることが出来た」
 未希は笑顔をみせる。
「あたしはプロのリングに上がるよ」
 そう告げて、女子ボクシング部員みんなと拳を一人一人打ち合わせた。

おわり
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