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「あに―いもうと」第二話

2017/04/09 Sun 03:28

「青コーナー山川ジム所属ー9戦9勝6KOー日本フライ級3位ー秋乃江亜衣~!!」
 リングコールされ亜衣は右腕を上げた。沸き起こる声援に応えるように観客に対して右腕を上げたまま身体をぐるりと向ける。そして最後に赤コーナーへと視線を移した。
 赤コーナーに立つ美羽。亜衣は視線を下げ、彼女の腰に巻かれているチャンピオンベルトを目にして顔を下げた。目的となる物を目にしてもう十分。これ以上は赤コーナーを見ていたくはなかった。
 亜衣は背中を向けて両腕を広げてロープを掴んだ。
「赤コーナー杉原ジム所属―10戦10勝10KOー日本フライ級チャンピオンー志恩美羽~!!」
 リングコールされると盛大な拍手、声援が聞えてきた。その数は明らかに亜衣へのものより多い。
 レフェリーに呼ばれ、亜衣と美羽がリング中央へと向かう。目の前で対峙し、亜衣は美羽の顔を見た。こんなに近い距離で美羽の顔を見るのは初めてだ。
 黒い髪の色のボブカット、雪のように白くてそれでいて頬はほんのり赤みがかった綺麗な肌に薄い唇、切れ長の目。童顔でまだあどけなさを残しながらも艶やかさも備えた美しい顔をしている彼女に熱狂的なファンがつくのも頷ける。
 でも、ファンの数で負けているからって悔しいとは思わない。そんなことはどうでもいいのだ。
 亜衣は美羽の顔を力強い眼差しで見続ける。美羽も亜衣の顔を見ているものの、その瞳からは何の感情も伝わってこない。
 クリムゾンクールドール。そんな呼称を持つ美羽らしいといえば美羽らしい。美羽と試合をした相手の大半が鼻血を噴きながらリングに沈んでいく。そして、一人でリングに立っているその時の美羽の顔には対戦相手の返り血が付いていてそれでも表情を崩さずにいる。それが美羽につけられた呼称の由来だ。それだけ美羽が軸として放つ直線形のパンチである左ジャブと右ストレートが正確に対戦相手の顔面を捉えているっていうこと。
 もちろん、鼻血を出すなんてまっぴらゴメンだ。
 10戦10勝10KO。美羽がとてつもなく強いのは十分に分かっている。でも、勝算なくリングに上がっているわけじゃない。あたしには他の選手にはない武器がある。試合に集中すれば勝てる。試合に集中さえすれば夢だったチャンピオンになれる。
 そう心の中で唱えながら、亜衣は背を向けて青コーナーへ戻っていった。
 余計なことは考えなくていい。あとはゴングが鳴るのを待つだけ。でも、コーナーに着く前につい振り返ってしまった。赤コーナーを。目に入る美羽の背中に手を回すタクロウの姿。それは亜衣が望んでいたもう一つの夢…。

「決勝戦は棄権してもらえるか」
 二人きりの会長室。そこで机の椅子に座り目の前で向き合う杉原会長はそう切り出してきた。亜衣は両拳をプルプルと震えるほどに強く握りしめ、奥歯もぐっと噛み締めた。
「嫌です…。美羽と試合をしないで優劣を付けられるなんて、そんなの絶対嫌です」
「同門同士で試合をさせるわけにはいかない。これはジムの方針なんだ」
 杉原会長は強くそれでいて諭すような落ち着いた口調で言った。
「じゃあジムを辞めます」
 亜衣は反射的にそう答えた。何も考えずに口から出た言葉だったけれど、後悔はなかった。
「本当にそれでいいのか」
 会長の言葉に亜衣は力強く「はい」と答えると「これまでありがとうございました」と頭を下げて部屋を出た。
 ジムを出ようと入り口の扉に向かう途中でタクロウの姿が目に入った。ミットに手を入れようとしていたタクロウはこちらに顔を向ける。いつになく心配そうな眼をしていた。
 亜衣は下を向いてジムの外へ出た。
「待てよ亜衣」
 タクロウの声がして後ろを振り向いた。タクロウは今も心配そうな表情を向けている。
「どこ行くんだよ」
「ねぇ、お兄ちゃんは知ってたんでしょ」
 亜衣は弱々しい目でタクロウの顔を見た。
「あぁ…」
「あたし、ジム辞めたから」
 タクロウが目を大きく見開いた。
「おいっ、早まるなよ。せっかく兄妹でボクシングがやれてんだろ」
 亜衣の表情が無機質になり、
「じゃあたしと一緒にジムを辞めてよ」
 と言った。
「そんなこと出来るわけねぇだろ。俺は他の奴のトレーナーもしてんだぜ」
「そうだよね。あたしはお兄ちゃんの選手の一人だもんね」
 タクロウは下を向き、それからまた亜衣の顔を見た。
「それでも亜衣は俺の大事な選手だ」
 亜衣は目を瞑り下を見る。そして、背中を向けて、
「ありがとうお兄ちゃん。」
 そう言って目を開けた。
「あたしはチャンピオンになりたいからジムを出るだけだから」
「別に美羽と一緒でもチャンピオンにはなれるだろ。世界のベルトは四つもあるんだ」
「それじゃダメなの」
 亜衣は首を横に振る。
「美羽に勝たなきゃ一番強いって思えないから」
 亜衣はそう言ってタクロウに顔を向けた。
「だからジムを出る。じゃあねお兄ちゃん」
 亜衣は精一杯笑顔を作ってタクロウの返事を待たずにその場から離れていった。そうじゃないと目元に溜まる涙を隠しれなかった。

「今夜のダイナマイトボクシングのメインイベント日本女子フライ級タイトルマッチ、まもなくゴングを迎えます。10戦10勝10KOとパーフェクトレコードを更新中のチャンピオン志音美羽に対するは挑戦者の秋乃江亜衣。秋乃江もここ二戦は連続1RKOと勢いでは負けていません。どういった結末を迎えるのか、目が離せない一戦です」
「注目すべきは秋乃江選手のデンプシーロールでしょう。彼女のデンプシーロールにチャンピオンがどう対応するのか。秋乃江選手が使うようになったここ二戦では対戦相手がまったく対応出来てませんでしたからねぇ。秋乃江選手の大番狂わせも十分にあると思いますよ」

 実況席、観客席の間で試合に対する注目が高まる中、リングの上の主役の一人である亜衣は青コーナーへと戻った。
「第1Rは様子を見るか?」
 そう話しかけてきた山川会長に亜衣は笑みを浮かべた。
「会長、何言ってるんですか。無敵のデンプシーロールですよ。1Rからいきますよ」
 山川会長は亜衣の顔をじっと見る。それから肩に手を乗せた。
「分かった、お前に任せるよ」
 セコンドについている河原さんからマウスピースを渡されてくわえた亜衣は右手ではまり具合を調整しながら言った。
「会長は心配しすぎですよ」
 第1R開始のゴングが鳴り、亜衣はコーナーを飛び出していった。
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